本場の風、再び ― 中国との国交正常化後の直接伝播
1. 日中国交正常化(1972年)とその意義
1972年の日中国交正常化は、政治・経済だけでなく、文化交流の面でも大きな転換点となりました。それまで、特に中華人民共和国成立後、両国間の人的・文化的な交流は限られていましたが、国交正常化によって、その扉が大きく開かれることになります。これは、少林武術を含む中国の伝統文化が、より直接的に日本へ伝わるための重要な前提条件となりました。
文化大革命(1966-1976年)の嵐が吹き荒れていた時期、中国国内では少林寺を含む多くの伝統文化が破壊や弾圧の対象となっていました。しかし、文革が終結し、改革開放路線へと舵が切られる中で、状況は少しずつ変化していきます。伝統文化の見直しと復興が進められ、少林寺も徐々にその活動を再開し始めました。
2. 映画『少林寺』(1982年)後の交流活発化
カテゴリ4で述べた映画『少林寺』の大ヒットは、日本人の少林寺への関心を爆発的に高めましたが、それは同時に、中国側にとっても少林寺を国際的にアピールする絶好の機会となりました。映画公開後、嵩山少林寺には国内外から多くの観光客や武術愛好家が訪れるようになり、日本からの訪問者も急増しました。
この時期から、日中間の武術交流が目に見えて活発になります。
- 少林寺武僧団の来日公演: 嵩山少林寺の武僧(武術を専門に行う僧侶や俗家弟子)で構成される「武僧団」が、日本各地で演武会を行うようになりました。彼らが披露する高度な拳術、武器術、気功(硬気功など)は、日本の観客に大きな衝撃と感動を与え、「本物の少林カンフー」を目の当たりにする機会を提供しました。これらの公演は、少林武術の知名度とブランドイメージをさらに高めることに貢献しました。
- 日本の武術家・愛好家の訪中: 映画や公演を見て触発された日本の武術家や愛好家たちが、直接、嵩山少林寺や中国各地の武術学校を訪れ、修行や交流を行うケースが増えました。彼らは、現地で学んだ技術や知識を日本に持ち帰り、自身の道場やサークルで指導を始めます。
- 中国人武術家の来日指導: 改革開放政策の進展と共に、中国の著名な武術家(少林拳の専門家を含む)が、日本の団体や大学に招聘され、指導を行う機会も増えてきました。これにより、より本格的で体系的な少林武術の技術が日本に紹介されるようになります。
3. 日本における「少林拳」団体の設立
このような交流の活発化を背景に、1980年代後半から1990年代にかけて、日本国内に「少林拳」や「少林武術」を名乗る団体や道場が次々と設立されるようになります。これらの団体は、主に以下のような形で設立・運営されました。
- 嵩山少林寺との繋がりを強調する団体: 嵩山少林寺から正式な指導者(派遣された僧侶や俗家弟子)を招聘したり、あるいは少林寺から何らかの認定や提携関係を得ていることをアピールしたりする団体。日本における「嵩山少林寺」の窓口的な役割を担おうとするケースも見られました。
- 中国で修行した日本人が設立した団体: 自ら嵩山少林寺やその周辺、あるいは他の地域の武術学校で少林拳を学び、帰国後に道場を開設したケース。
- 来日した中国人武術家が設立した団体: 日本に定住した中国人武術家が、自身の専門とする少林拳(あるいはその関連武術)を指導するために開設した道場。
これらの団体は、多くの場合、カテゴリ3で述べた「少林寺拳法」とは組織的に一線を画し、「嵩山少林寺の伝統的な武術」としての少林拳を指導することを標榜しました。これにより、日本の武術界には、既存の「少林寺拳法」に加えて、「中国伝統の少林拳」という新たな潮流が生まれることになります。
4. 伝承される技術内容
これらの「少林拳」団体で指導される内容は、流派や指導者によって多少の差異はありますが、一般的には以下のようなものが含まれます。
- 基本功(ジーベングン): 柔軟性、体力、バランス、基本的な突き・蹴り・受けなどの基礎訓練。
- 套路(タオルー): 少林拳の様々な型。例えば、「小洪拳」「大洪拳」「羅漢拳」「七星拳」「通背拳」など、多種多様な徒手(素手)の套路や、「少林棍」「達磨剣」「梅花槍」などの器械(武器)の套路。
- 対練(ドイリェン): 二人一組で行う約束組手。套路の技の応用や攻防の感覚を養う。
- 散打(サンダ)/散手(サンショウ): 自由組手、あるいはそれに近い形式の実践的な攻防練習。防具をつけて行う場合が多い。
- 気功(チーゴン)/養生功(ヤンシェンゴン): 呼吸法や緩やかな動きを通して、気(エネルギー)を養い、健康を増進するための訓練。「易筋経」や「八段錦」などが代表的。
これらの練習を通して、単なる技術だけでなく、少林武術の歴史や文化、そして「禅武一如」の精神性なども合わせて学ぶことが重視される場合が多いです。
5. 「本物」志向と多様化
国交正常化後の直接伝播は、日本における少林武術の状況をより多様化させました。映画などで形成されたイメージに加え、「本場の」「伝統的な」少林武術を学びたいというニーズに応える形で、これらの新しい団体は一定の支持を集めました。しかし同時に、「何が本物の少林拳なのか?」という問いも生み出すことになります。嵩山少林寺自身も時代と共に変化しており、また中国国内でも様々な流派や解釈が存在するため、日本で活動する各団体が伝える「少林拳」も、それぞれに特徴や違いが見られます。この点は、次のカテゴリ以降でさらに詳しく見ていきます。