海を渡った「禅と拳」― 少林武術の日本における受容と展開

戦後の転換点 ― 宗道臣と少林寺拳法の創始

1. 宗道臣(中野理男)の経歴と中国での体験

日本の武道界において、「少林寺」の名を冠し、戦後急速に普及した組織として「少林寺拳法(しょうりんじけんぽう)」の存在は非常に大きいと言えます。その創始者である宗道臣(そう どうしん、本名:中野理男、1911-1980)の経歴と、彼が主張する中国での体験が、少林寺拳法創始の根幹を成しています。

宗道臣の公式な経歴によれば、彼は若い頃(1928年頃から)満州(現在の中国東北部)に渡り、様々な活動に従事する中で、現地の武術家たちと交流を持ったとされています。特に重要視されているのが、彼が嵩山少林寺の北少林義和門拳(あるいはそれに類する拳法)の第20代師父である文太宗(ぶん たいそう、ウェン・タイゾン)老師に出会い、その弟子となったという経験です。そして、文老師の死後、その跡を継いで第21代師範(伝人)となった、と宗道臣は述べています。また、彼は嵩山少林寺にも実際に訪れたとも語っています。

これらの中国での体験を通して、彼は単なる武術の技法だけでなく、「力愛不二(りきあいふに、強さと慈悲は一体である)」「活人拳(かつじんけん、人を傷つけるのではなく、人を活かす拳)」といった思想的なバックボーンを得たと主張しました。

2. 少林寺拳法の創始と理念

終戦後、荒廃した日本に帰国した宗道臣は、満州での体験と、日本の将来を担う若者たちの育成への思いから、1947年に香川県多度津町(たどつちょう)で、自身が中国で学んだとされる拳法と独自の思想を融合させた武道「少林寺拳法」を創始しました。当初は個人的な指導から始まりましたが、次第にその教えが広まっていきました。

少林寺拳法の大きな特徴は、単なる護身術や格闘技ではなく、「人づくりの行」としての側面を強く打ち出している点です。その基本理念として、以下の三法が掲げられています。

さらに、その行動規範として「自己確立(じこかくりつ)」と「自他共楽(じたきょうらく)」が重視されます。まず自分自身を精神的・肉体的に頼れる存在とし(自己確立)、その上で他者と共に協力し、共に栄える社会を目指す(自他共楽)、という考え方です。これは、宗道臣が戦後の混乱の中で感じた、利己主義や暴力に頼らない社会建設への願いが込められていると言えるでしょう。

技術体系としては、突・蹴・打などの「剛法(ごうほう)」と、抜・投・固・締などの「柔法(じゅうほう)」が組み合わされており、状況に応じて使い分けることが特徴です。また、「拳禅一如(けんぜんいちにょ)」を掲げ、座禅(鎮魂行)も修行の一環として取り入れられています。

3. 「少林寺拳法」と「少林武術」の関係性についての議論

ここで非常に重要な点は、宗道臣が創始した「少林寺拳法」と、中国嵩山少林寺で伝承されてきた「少林武術(少林拳)」との関係性です。宗道臣自身は、そのルーツを嵩山少林寺の義和門拳に求め、自身をその正統な継承者であると位置付けていました。

しかし、この点については、いくつかの検証を要する部分があります。

これらの点から、現代の研究や武術界の一部では、少林寺拳法は「宗道臣が中国で見聞した武術や思想、そして日本の武術などを基に、独自の理念と体系をもって創始した、日本発祥の武道」であると捉える見方が有力になっています。つまり、「少林寺」の名は冠しているものの、嵩山少林寺の武術そのものではなく、宗道臣の思想と経験に基づいた「インスパイアされた」あるいは「流れを汲む」と主張される独自の武道である、という解釈です。

もちろん、少林寺拳法グループの内部では、宗道臣の語った歴史と正統性を信じ、継承している人々が大勢います。この歴史認識の違いは、非常にデリケートな問題であり、一方的に断定することは避けるべきでしょう。重要なのは、「少林寺拳法」が戦後の日本社会において、「少林寺」の名の下に独自の発展を遂げ、多くの人々に受け入れられ、普及したという事実です。

4. 戦後日本における普及

少林寺拳法は、その明確な理念、体系化された指導法、そして「人づくり」という教育的側面が評価され、戦後の日本社会、特に学校のクラブ活動や地域の道場などを通じて急速に普及しました。大学や高校に多くの支部が設立され、青少年育成に貢献した側面は大きいと言えます。宗教法人(金剛禅総本山少林寺)、財団法人(少林寺拳法連盟)、学校法人(禅林学園)など、多角的な組織展開もその普及を後押ししました。

少林寺拳法の登場と普及は、「少林寺」という名前と、そこで行われる武術(拳法)のイメージを、日本の一般大衆に広く認知させる上で、極めて大きな役割を果たしたと言えるでしょう。ただし、それは必ずしも中国の嵩山少林寺の武術とイコールではなく、日本独自の解釈と発展を経たものである、という点は理解しておく必要があります。