海を渡った「禅と拳」― 少林武術の日本における受容と展開

海を渡る伝説? ― 前近代における日本への影響(仮説と間接的証拠)

1. 達磨伝説と日本の禅・武術

カテゴリ1で触れた達磨大師の伝説は、中国だけでなく日本にも深く浸透しています。日本の禅宗、特に臨済宗や曹洞宗は達磨を始祖として尊んでいます。そして、日本では「達磨さん」として、七転び八起きの縁起物としても親しまれています。

ここで興味深いのは、「達磨が武術を伝えた」という伝説が、日本の武術の起源譚にも影響を与えている可能性です。例えば、一部の古武術流派では、その起源を達磨や、あるいは中国から渡来した人物に求める伝承が見られます。これは、流派の正統性や神秘性を高めるための創作である可能性が高いと考えられますが、少林寺=達磨=武術の祖、というイメージが、間接的に日本の武術界にも影響を与えていた可能性は否定できません。

しかし、注意すべきは、これはあくまで「達磨伝説」の影響であり、前近代(特に鎌倉~江戸時代)に、体系化された「少林武術」そのものが日本に直接伝わったという明確な証拠は、現在のところ見つかっていません。禅僧の往来は盛んであり、禅の修行法や思想と共に、健康法や護身術のようなものが断片的に伝わった可能性は考えられますが、それが組織的に「少林武術」として認識され、伝承されたという記録は確認されていません。

2. 琉球(沖縄)を経由した可能性?

もう一つ、しばしば語られる仮説が、琉球(現在の沖縄県)を経由して中国武術が日本本土に伝わったというルートです。琉球王国は、歴史的に中国(明・清)と冊封(さくほう)関係にあり、非常に密接な交流がありました。福建省など中国南方の文化の影響を強く受けており、琉球の伝統武術「手(ティー)」、後の「唐手(トゥーディー)」(現在の空手の源流)の発展には、中国南派拳法の影響があったことが定説となっています。

では、その中に「少林武術」は含まれていたのでしょうか? 福建省には南少林寺の伝説(その実在や規模については諸説あり、現在も議論が続いています)があり、南派拳法の多くが少林拳の流れを汲むとされています。もし琉球に伝わった中国拳法に南少林系の技術が含まれていたとすれば、間接的に少林武術の要素が琉球経由で(後に空手として)日本本土に伝わった、と考えることも可能です。

しかし、これもまた難しい問題です。まず、「南少林寺」自体の歴史的位置づけが不確定です。また、琉球に伝わった拳法が具体的にどの流派で、それがどの程度「少林」の名を冠していたか、明確な記録は乏しいのが現状です。空手の型(カタ)の中に、中国南派拳法との類似性が見られる技法(例えばサンチンなど)が存在することは事実ですが、それを直接的に「嵩山少林寺の武術」や、明確な「南少林拳」と結びつけるには、さらなる実証的な研究が必要です。「唐手」という名称自体が、漠然と「中国(唐)から伝わった手(拳法)」を意味していた可能性もあります。

3. 江戸時代の拳法・柔術との関連

江戸時代には、日本各地で様々な武術流派(剣術、柔術、槍術など)が隆盛しました。その中には、中国からの影響を伺わせる記述や技術を持つ流派も存在します。例えば、柔術の中には「殺活法(かっぽう)」と呼ばれる、急所への打撃や関節技、蘇生術などが含まれますが、これらが中国武術の点穴や擒拿、あるいは医学知識と関連があるのではないか、と指摘されることがあります。

また、江戸時代には陳元贇(ちんげんぴん)という明末の文人が日本に亡命し、彼が柔術の起源に影響を与えたという説があります(起倒流や楊心流など)。陳元贇が中国武術を伝えたという話もありますが、彼自身は文人であり、武術家ではなかったという見方が有力です。彼が伝えたのは、捕縛術のようなものだったかもしれませんが、それを「少林武術」と直接結びつける証拠はありません。

いくつかの柔術流派の伝書に、中国由来を匂わせる記述が見られることもありますが、それが具体的な技術体系としての少林武術の伝来を示すものか、あるいは単に中国文化への憧憬や権威付けのためのものかは、慎重な判断が必要です。

4. まとめ:直接的伝播の証拠は乏しいが、間接的影響は否定できない

結論として、前近代において、体系化された「少林武術」が日本に直接伝わり、流派として確立されたという確たる証拠は見当たりません。達磨伝説や琉球経由説、陳元贇の逸話などは、いずれも憶測や間接的な状況証拠の域を出ず、さらなる検証を要する説と言えます。

しかし、だからといって、全く影響がなかったと断言することもできません。禅宗の伝来と共に精神文化面での影響があった可能性、琉球や長崎の出島などを通じて、中国武術の断片的な技術や知識が伝わり、日本の武術(特に柔術や空手)の発展に何らかの刺激を与えた可能性は考えられます。ただし、それは「少林武術」という明確な看板を伴ったものではなく、より広範な「中国武術」あるいは中国文化の影響として捉えるべきでしょう。

本格的に「少林武術」あるいはその流れを汲む武術が日本で明確な形で組織化され、広まるのは、やはり第二次世界大戦後のことになります。次のカテゴリでは、その大きな転換点について見ていきます。