海を渡った「禅と拳」― 少林武術の日本における受容と展開

はじめに

こんにちは! 私たちは、日本と中国の大学で学ぶ学生有志による調査チームです。
今回、悠久の歴史を持つ中国の少林武術が、どのようにして日本に伝わり、根付いていったのか、そして現代においてどのように展開しているのかを探る共同プロジェクトに取り組みました。

少林寺、カンフー、禅… これらの言葉は、日本人にとっても馴染み深いものですが、その実態や日本での具体的な広がりについては、意外と知られていない部分も多いのではないでしょうか。映画や漫画の影響も大きい一方で、武術や健康法、精神修養として真摯に取り組む人々も増えています。

このレポートでは、歴史的な経緯から現代の状況までをカテゴリに分け、私たちが集めた情報や考察をまとめていきます。文献や資料に基づく事実と、さらなる検証が必要な伝承や仮説を区別することを心がけました。中国と日本の学生双方の視点を交えながら、少林武術が日本社会に与えた影響、そして未来への可能性について、カジュアルなトーンで、しかし網羅的に探っていきたいと思います。読者の皆さんと一緒に、この興味深いテーマへの学びを深めることができれば幸いです。

原点を探る ― 少林武術とは何か? その歴史と哲学

1. 少林寺の創建と武術の起源伝説

まず、「少林武術」の故郷である嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)について触れないわけにはいきません。少林寺は、中国河南省登封市(とうほうし)にある、後漢末期から続く長い歴史を持つ禅宗(特に曹洞宗)の祖庭として知られています。創建は北魏時代(495年)とされ、インドから来た僧侶・跋陀(ばつだ)を開祖とすると伝えられています(これは史実として広く認められています)。

少林武術の起源として最も有名なのは、インドから来た達磨大師(だるまたいし、ボーディダルマ)の伝説です。達磨は禅宗の始祖とされ、彼が少林寺で壁に向かって九年間座禅を続けた(面壁九年)後、長時間の座禅で凝り固まった僧侶たちの心身を鍛えるために「易筋経(えききんきょう)」や「洗髄経(せんずいきょう)」を伝えた、これが少林武術の始まりだ…という話は非常に有名です。しかし、この達磨起源説は、後世(特に明代以降)に作られた伝説である可能性が高いというのが、現代の歴史研究における有力な見解です。達磨が少林寺に来たこと自体は史実と考えられていますが、彼が武術を伝えたという直接的な証拠は乏しく、むしろ禅の教えが中心だったとされています。「易筋経」などの文献も、後代の成立とする説が有力です。

では、少林武術はいつ、どのように始まったのでしょうか? 確かなことは、少林寺が古くから僧兵(武僧)を擁していたことです。特に隋末唐初の動乱期(621年頃)、少林寺の僧たちが唐の太宗・李世民(りせいみん)を助けて武功を立てたという記録があり、これは比較的信頼性の高い史実とされています。この功績により、少林寺は朝廷から保護され、僧兵の存在が公に認められるようになりました。その後、明代には倭寇(わこう)の討伐に参加するなど、少林寺の武僧はその武勇で名を馳せました。この時代には、具体的な棍術(棒術)などの技法に関する記録も増えてきます。つまり、少林武術は達磨伝説のような単一の起源を持つのではなく、少林寺が自衛や護国のために周辺の武術を取り入れ、禅の修行と結びつけながら、長い時間をかけて独自の体系を発展させてきたと考えるのが自然でしょう。

2. 少林武術の技術体系と特徴

少林武術(少林拳、少林功夫とも)は、非常に多様な技術を含む総合的な武術体系です。「拳法(手技)」、「脚法(足技)」、「擒拿(きんな、関節技や捕縛術)」、「摔跤(すわいじゃお、投げ技)」、「点穴(てんけつ、経穴・急所攻撃)」など、素手による技術だけでも多岐にわたります。さらに、棍(こん、棒)、刀(とう)、槍(そう)、剣(けん)をはじめとする多種多様な武器術(器械)も含まれます。

一般的に、少林拳は「北派」の代表格とされ、跳躍や蹴り技が多く、動きが大きく伸びやかな「長拳(ちょうけん)」系のスタイルが特徴として挙げられることがあります。しかし、実際には「南拳(なんけん)」的な短く剛猛な技法や、動物の動きを模倣した「象形拳(しょうけいけん)」(龍、虎、豹、蛇、鶴の五形拳など)も豊富に含んでいます。また、内部のエネルギー(気)を重視する「内家拳(ないかけん)」的な要素(例えば易筋経や気功)と、筋骨や外部のパワーを重視する「外家拳(がいかけん)」的な要素が混在、あるいは統合されている点も特徴と言えるでしょう。

技術の伝承は、主に「套路(とうろ、タオルー)」と呼ばれる一連の動作(日本の武道でいう「型」)を通して行われます。基本功(基礎トレーニング)、対練(約束組手)、散打(自由組手)なども重要な練習要素です。

3. 「禅武一如」の精神

少林武術の根底にある思想として、「禅武一如(ぜんぶいちにょ)」あるいは「禅拳一如(ぜんけんいちにょ)」が挙げられます。これは、禅の修行と武術の修行は一体であり、分かちがたいものであるという考え方です。武術の厳しい稽古を通して、不動心や集中力、忍耐力といった精神力を養い、それが禅の境地へと通じる。逆に、禅の修行によって得られる平静な心や洞察力が、武術の技を高める。このように、心と体、精神と技術は相互に作用し合い、人間形成を目指すのが少林武術の理想とされています。

ただし、この「禅武一如」の理念が、歴史的にどの程度一貫して実践されていたか、また全ての時代の全ての僧侶や修行者に共有されていたかは、慎重に考える必要があります。時代や状況によっては、純粋に戦闘技術としての側面が強調されたり、逆に形骸化したりすることもあったでしょう。しかし、少林武術を他の武術と区別する重要な哲学的支柱として、この理念が語り継がれてきたことは間違いありません。

4. 近現代の変遷

清代には、反清復明(清を倒し明を復興する)を掲げる秘密結社との関連が疑われたり、弾圧を受けたりする時期もありました。近代に入り、1928年には軍閥間の争いにより少林寺が焼き討ちに遭い、多くの貴重な文献や建物が失われるという悲劇も経験しています。中華人民共和国成立後、特に文化大革命(1966-1976)の時期には、宗教や伝統文化が否定され、少林寺や少林武術も厳しい弾圧を受け、存続の危機に瀕しました。

しかし、1980年代以降、改革開放政策の中で伝統文化が見直されるようになり、映画『少林寺』(1982年、ジェット・リー主演)の大ヒットもあって、少林寺と少林武術は国内外で再び脚光を浴びることになります。現在では、中国を代表する文化遺産、観光地、そして武術の中心地として世界的に知られています。

このように、少林武術は伝説と史実、武術と宗教、栄光と苦難が織り交ざった複雑で豊かな歴史を持っています。この基礎知識を踏まえることが、日本への伝播と展開を理解する上で不可欠です。